平成23年4月
井田 清
絵画の上手な購入法と楽しみ方
この度の大震災、日本を変えてしまいましたね。
今はまだ、原発の問題と、被災者や被災地に対する対応で心がいっぱいで、これから起こる恐ろしさがまだ実感されていませんが、
本当の苦しみはこれからだと思います。
でも戦争じゃなくて本当に良かった。
日本は平和だけど、世界のあちこちで戦争や内戦が行われていますから。
リビア コートジボワール イラク トルコ アフガン
などでは、毎日、人が人を殺しているんです。
それも、平時であれば慎み深い普通の市民が、たとえば隣人を虐殺しているんですよ。
そしてこうしている今も、いつ殺されるかわからない恐怖に怯えながら生活しているんですからたまりませんね。
怒りと憎しみ、そして猜疑心が人を絶望に陥れていくんです。人々から笑顔を奪い、子供たちはうつろな目をして生きているんです。
この度の震災は、確かに大きな犠牲を払い、我々を悲しみと恐怖に陥れましたが、その悲しみを日本中の人々が分かち合い、
世界中の人々が善意と厚意からの支援を寄せてくれているんです。
だから、被災者の方々も、悲しみの中からも笑顔を取り戻し、前を向いて生きようとしているんですね。
そして、これからの支援は、働く場を復活させることだと思います。
それと忘れられているんですが、心配なのは、
この震災で仕事が無くなり、解雇されたりしている、震災の被災者では無い方々です。
彼らにはなんの責任も無いにも関わらず、職を失っているのですが、災害の被災者ではないので、保障も救済もされません。
このことが、被災者に対する妬みや憎しみに変わっていかないことを祈るばかりです。
こうしたときに、芸術の役割とは何なのだろう、と自問します。
私は、「芸術は人間の精神を作るもの」だと思っています。
その国の芸術のあり方と民族の精神には深い関係があるではないでしょうか。
また、私は、人間と動物とを大きく分けるものは、「芸術するかどうか」だと考えています。
人間の生活は、それ自体芸術だと思えることがあるのですが、人間の心が創り上げていく“美”は、とても素晴らしいですね。
音楽、文学、美術、哲学、それらを統合した、映画や演劇、などの芸術。
そのすべてが人間の心を強くしていくのだと思います。
また、「芸術のもっとも大切なことは、深く感じ、深く考えること」ではないでしょうか。
俳句や川柳、短歌などの短い詩を持つ日本人は、専門技術を持たなくても、誰でもが芸術に関わることが出来、
そうすることで深く感じ、深く考えることができます。
そして言葉を磨きます。
美しい言葉を捜します。
あるいは発見し、あるいは作り出します。
日本人は世界でもっとも芸術する民族だと私は思っています。
でも、最近の、言葉を省略することに格好良さを感じている傾向は、どうなのかなあ?
<日本の芸術>
日本人は、とても謙虚なので、自分達の芸術はレベルが低いと思っている方が多いのですが、決してそんなことは無いのです。
文学でいえば、
源氏物語を始め、小説や日記文学、伝記、壮大な叙事詩ともいえる古事記があり、
万葉集や古今集などの歌集、平家物語などの語り物や怪談、などなど、
極めて高いレベルの作品がたくさん残されています。
音楽も、
雅楽、謡曲、小唄、民謡、子守唄などさまざまな階層で発達したものがあり、ほとんど全国民が楽しんで来ました。
演劇も、
能や狂言、歌舞伎、人形浄瑠璃、などは素晴らしく高い評価を得ていますし、
庶民のものとしては“芝居”が津々浦々で公演されていました。
美術では、
仏像彫刻は、ヨーロッパの宗教彫刻に比べても、なんの劣るところは有りませんし、
津々浦々の田舎町や、農村のはずれの田舎道に至るまでお地蔵様や観音様の像がおわします。
絵画作品は、残念ながら火災や戦争で失われ、残っているものは少ないのですが、
古い寺院や城、旧家のお屋敷などに残っているものから、そのレベルの高さがわかります。
たとえばルネッサンス以降に定着した遠近法なども、15世紀の雪舟はすでに取り入れていたんですね。海外からの影響ではなく。
俵屋宗達の風神雷神図は、
その後の画家達に永遠のテーマを与え、
流れを汲む尾形光琳はもちろんですが、多くの画家がそれぞれの風神雷神図に取り組んでいます。
宋達は2曲一双の屏風の両端に風神雷神を描き、後は空白にしました。
その後の画家達は、そのままの構図で描いたものも居れば、
その空白の空間に、自分の作品の主要テーマを描き込んだりしています。
残された空白に対して深く感じ、深く考えていたんですね。
宋達は、その後の画家達に深く考えるテーマを残したんですね。
葛飾北斎なんかもそうですね。
とくに、富岳三十六景の中で、「神奈川沖浪裏」などは、壮大な波の絵を
フランスのギュスターヴ・クールペの「波」よりも一世紀も早くに描いているんです。
その北斎の波の中にも、後の画家達は、いろいろなテーマを描き込んでいるんです。
日本の画家達は、そういう粋なことをやるんです。
日本の作品を舐めてはいけません。
絵画のルーツとして宗教画がありますね。それは日本も同じです。
芸術はどうしても時の権力者や経済力のあるものの庇護を受けて発展して来ました。
ヨーロッパの作品は、印象派が出てくるまで、どちらかといえばその傾向がとても強かったと思います。
でも、日本の画家は、その傾向が少ないような気がします。
媚びてもいないし、反逆もしていない感じなんです。
自然の風景や鳥や動物を描き、情熱を深く心に秘めて、淡々と美の追求をしている。
その抑制力が日本画の繊細さになって、対象物の真髄に迫るかのような表現が生まれてきたのだと考えられます。
日本人の心には、自然を愛し、自然と一緒になって自然の心を表現してきたDNAがあるんでしょうね。
昭和初期に、桑原武夫という、文化功労賞を受賞するような著名なフランス文学者がいて、
「現代俳句第二芸術論」なるものを発表し、俳句界に大変な衝撃を与えました。
この第二芸術論は、俳句を槍玉に挙げて批判、というか、馬鹿にしているけれど、実は、巧妙に日本の芸術全般をコケにしているんですね。
俳句以外のジャンルの芸術は、完全にこれを無視したので無事だったのですが、俳句会はメタメタになってしまいました。
みなさん考えてください。
日本人の心は、俳句や短歌で磨かれてきたのだと思いませんか?
風や、虫の音や、花や、さまざまな行事に優しく注意を傾け、その中に自分自身の心を溶け込ませ、
美しい詩で表現することで、この美しい日本の自然や文化を守り続けてきたのではありませんか?
明治以降の洋風化や、戦後の欧米化の中で多くのものが失われてしまいましたが、
日本人の心の中にしっかりと組み込まれ、受け継がれ続けているDNAが、
それでも今、この素晴らしい日本を維持しているのだと思います。
<絵画の価格のつけ方>
随分と横道へ逸れてしまいました。ごめんなさい。
さて、絵画の価格についてですが。
日本では、作家ごとに、ほぼ作品の大きさで決まっています。
海外では、作品ごとに価格が設定されることが多いようですね。
皆さんもご存知の美術年鑑や美術市場などという本が毎年発行され、画家の作品の価格が記載されています。
これを表示価格といいますが、本によって価格が違っています。
普通、「美術市場」に載っている価格が、実勢価格と見られています。
画廊やデパートではこの価格を表示しています。
新しい絵も、古い絵も関係なく、同じ作家の作品は同じ価格になっています。
そして、生きている間は、表示価格は下がることはありません。
画家は、店頭や展覧会では表示価格で、表示することを望んでいます。
表示価格は、画家のランクを意味するので、下げられたくないのです。
表示価格の付け方
*新人の場合
美大を出て、画家になろうとする新人画家は、先ず個人やグループで展覧会を開きます。
その時に自分の思惑で価格をつけます。
号あたり5千円~1万円が多いですね。
それでよく売れれば、次には少し上げます。
決して下げません。
前回買ってくださったコレクターをがっかりさせてしまうからです。
そんな風に様子を見ながら価格を設定します。
画廊や画商はその成り行きを見ています。
・ 良く売れる
・ 良い作品(画商の判断)
・ 成長している→公募展での受賞やイベントなどの評価
・ そして、今後売れそうだ
などから、その作家を応援するかどうかを考えます。
そのボーダーラインは、号単価3万円以上で売れるようになるかどうか、ですね。
画商としては、号単価4万円以上にならないと応援しても利益が出ませんね。
画家としては、画廊や画商に扱ってもらえるようにならないとだめですね。
*すでに画家として活躍している画家の場合
すでに市場で流通している価格があります。
新人の時代から積み上げて来た価格です。
これは基本的に下がりません。
特別の場合を除き、作家が亡くなると下がるのが普通です。
上がるのは、
・ 海外のビエンナーレなどで大きな賞を取ったとき
・ 所属美術団体の役員になったとき、地位が上がったとき
・ 文化勲章などを受章したとき
・ 大きなイベントなどで評価を得たとき
・ マスコミに大きく取り上げられたとき(有名寺院の障壁画などで)
・ 良く売れるとき
などですね。
金額は、作家と画商が相談して決めることが多いですね。
絵を買うにあたって
一般に、表示価格より高く売れることはありません。
ですから、皆さんが値上がりを期待して絵を買っても、得をすることはほとんどありません。
もし、投資を目的で買うのであれば、
まだ若くて値段の安い作家の、
気に入った作品を、
作家を応援するつもりで買ってください。
大事なのは、気に入らない作品は買わないことです。
安い絵画がある
よく、ホームセンターや家具屋さんなどで、直筆の油絵を10号サイズで5万円とか8万円くらいで売っています。
これは美術品とはいえません。
私は、“絵のようなもの”と呼んでいるのですが、多くの場合、経済的に困った画家さんが、魂を入れずに描いているものです。
絵の中にあるサインも、いつも使っているものは使いません。
もちろんそんなものの中にも、たまには鑑賞に耐えるものがありますが、一般にはすぐにつまらなくなってしまいます。
オークション
通常の市場とは別に、オークションがあります。
美術作品の本当の価値は、オークションで決まる、などと言われています。
これには
・ 一般のコレクター様向け
*オークション会社の開催するもの
*デパートなどで、画商が換金処分のために開催するもの
・ 画廊などの業者向け(交換会)
・ 法的競売
などがあります。
ゴッホやピカソの作品が100億円とか、高額で落札されるのはオークション会社の開催するものですね。
通常は、デパートなどで買うよりも安く買うことが出来ます。
とくに、法的競売の場合は、かなり安く買えます。
とはいえ、きちんとした鑑定眼を持っていなければ、価値の無いものをつかんでしまう危険もあります。
また、欲しいと思っても、競り合う相手に負けてしまえば買えません。
そのことを楽しみながら買うのであれば、お勧めですね。
インターネット・オークション
最近はやりですが、これも安いですね。
問題は、実際の作品を見て買うわけではないので、競り落としては見たものの、
「こんなはずではなかった」
ということが多いことです。
私は、美術品以外のものを何度か競り落としたことがありますが、すべて失敗でした。
お勧めは出来ません。
一番のお勧めは、
お付き合いのある、信頼できる画廊や画商さんから、
良く作品を見て、
本当に気に入ったものを、
価格の相談をして買うことですね。
作家について、作品についても良く話を聞いて買うことが出来ます。
少しくらい高くても、安心して幸せになることが出来ます。
以上(講演会原稿から)
以上